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読書メモ:蝶の生態と観察

既知の情報を整理し、体形づけ、どこまでわかっているかを明示した、これからの日本の蝶学に欠かせない蝶研究者必携の書。
-中略-
本書は、時間や設備、文献など研究条件に恵まれない、一般のアマチュアや学生の蝶の生態研究、観察の指針となるようにまとめられた絶好のガイドブックである。 (築地書館Webサイトより)

上記のレビューにもある通り、蝶の生態についての既知の情報を整理・体系化した書であるが、「どこまでわかっているか」だけでなく「今後の課題は何か」という示唆に富んでいる。1988年発行だから22年も前の本なのだけれども、私の知識レベルでは今でも充分参考になる本だった。年に一度くらい読み返すと、新しいテーマが発見できそうな気がする。そうだな、Fieldworkに出る機会の少ない冬に、毎年読み返すことにしようか。

内容は非常に濃密なので、具体的な内容は紹介しづらいが、P147~150にまとめられた「蝶のすむ環境/草原と荒原」に関する記述は、以前紹介した富士山にすめなかった蝶たちの研究内容を整理したもので、「既知の情報を整理・体系化」の一端を垣間見ることができた。

また、私にとってとりあえず最も参考になりそうなのがこれ。

卵・幼虫・蛹の見つけ方

  1. 成虫の行動を見破ること
  2. 母蝶の目で好みの産卵部位を推定すること
  3. 食痕や巣に目がいくような訓練をすること
  4. ゆっくり歩き、しばしば立ちどまること
    (逆に、つまらないと思ったらどんどん急ぐこと)
  5. 時期、時刻を変えてチャレンジすること
  6. 固定観念を捨てること
  7. しらみつぶしに探すこと ※強調は引用者

これは、卵・幼虫・蛹の見つけ方であるけれども、強調した3つは成虫の生態撮影にもそもまま生かせそうだ。特に4.の「ゆっくり歩く」は私が苦手にしていることだ。せっかく良いポイントを見つけても、「先にもっと良いポイントがあるかも」と予定の行程を進むことを優先してしまい、後で後悔することが多い。その一方で「つまらない」ところでも時間をかけて歩いてしまうこともある。要するに「成虫の行動を見破れてない」ので、メリハリがつけられないのだ。自戒しなければ。

読書メモ:蝶のある生活

  • 蝶のある生活 (築地書館:1986年12月1日)
  • 浅田孝二/浅田玲子 共著

本書は珍しい蝶の生態、その美しさ、自然界の織りなす神秘的な本能にあやつられた蝶の物語をつづったものである。読者はきっとこの本の魅力を堪能し、蝶好きになり虫好きになることだろう。(序文より:北杜夫)

毎度のことですがこの本も新刊ではなく、初版発行は1986年12月1日です。23年前。昆虫関係の本を探して読んでいると、どうしても古い本に行き当たることが多くなってしまいます。

さて、「蝶のある生活」は浅田孝二/浅田玲子というご夫妻の共著です。このご夫妻、なんと夫婦揃っての虫屋さん。書中では、ご夫人の玲子さんが主に幼虫飼育、どちらかといえば野外活動がお好きなご主人の孝二氏は飼育に必要な食草・食樹確保という役割分担になっている様子が窺えます。いずれにせよ、お互いの趣味が一致しているのが非常に羨ましい。

ご主人の孝二氏の筆による「二人三脚の旅」という一篇にご夫婦の馴れ初めが書かれている。最初、ご夫人の玲子さんから孝二氏へのカラスアゲハの雌雄についての質問の書簡から始まったお二人は、手紙をやりとりしたり、時折電話で話したりしながら互いに面識のないまま満2年が経過した後、ようやく一緒に採集に歩いてみよう、となって初対面を果たす。そして初対面の採集行から帰宅した孝二氏は心の中でつぶやく。

「君たちのおかげで、いい人に会えたよ」
ひとわたり食草の世話が終わったとき、ぼくは幼虫たちを見渡しながら、心の中でつぶやいた。

そして半年後、お二人はご結婚された。

それから約半年後に、ぼくたちは結婚した。20歳を越える年齢差その他の障害より、共に蝶を育てる喜びを分かち合いたいという切望の方が強かった。

この一篇を読んだだけで、私はご主人の孝二氏に感情移入してしまい、ご夫人の玲子さんの姿が私の脳内で理想の女性と化してしまった。もちろん、書中にはご夫人の写真などは収められていない。すべて私の脳内妄想である。その脳内妄想の理想の女性が、書中あちこちで泣いたり、笑ったりしている。ある意味、この本はお二人のラブ・ストーリーであるようにも感じられた。

この本は、ゴイシシジミやコノハチョウを飼育や、飼育のための食草・食樹探しの苦労など、ご夫婦の蝶との関わりを綴った本であるけれども、すでに書いたとおりとても感情豊かな文章となっているので、蝶の趣味を持たない人でも興味深く読めるだろう。

読書メモ:富士山にすめなかった蝶たち

旧Ganesha's monologue(by P_BLOG)より移転転記。(2009-12-13)

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  • 富士山にすめなかった蝶たち
  • 清邦彦著
  • 築地書館
  • 1988年9月1日初版発行

また、20年前の本かよ、と思いつつご紹介。

本書は富士山およびその周辺地域におけるアマチュア研究家による調査・研究の産物だ。「アマチュア研究家でもここまでできるのか」というのが本書を読んだ素直な感想だった。

本書のタイトルになった「富士山にすめなかった蝶たち」という章も面白かったが、どちらかというと、個人的には「川原は蝶のふるさと」という章の方が面白かった。その章では、草原性蝶類の分布の変遷についてP.98〜P.103に「草原の蝶のたどった道」としてまとめられているのだが、その結論に至る著者の思考過程・調査過程が追体験的に記述されていて非常に興味深かったのだ。

火山ではない御坂山地や甲府盆地の周りでは草原の蝶たちはどんな所にすんでいるのか。 〜中略〜 まとめて言えば、くずれてきた土砂、谷川の運んできた土砂が堆積した所である。川の周辺というものが少し気になってきた。
ギンイチモンジセセリの生息環境を整理してみると、 〜中略〜 (3)の川原だけは自然の力だけで形成・維持されているもので、しかもそれは過去には今よりもはるかに広い面積を占めていたはずだ。御坂山地の調査で気になった山間部の河川周辺の草原性蝶類の生息地とともに、平野部の川原というのも自然草原としてもっと高く評価してもよいと考えた。
暖帯に自然の力でできる草原は川原、湿原、海岸、火山といったところである。このなかでいちばん広い面積を占めていたと考えられるのはやはり川原だろう。転移荒原とされるほど不安定なのが気になるが、そう言い切ってよいのだろうか。とにかく調べてみる必要がありそうだ。

「川原」の重要性に着目した著者は、「川原」の環境をさらに細分化して調査・研究を進めていく。

私は川原を三つに分け、それらを低位面、中位面、高位面と名づけてみた。

ところが、この分類だけでは説明できない現象があった。川の傾き(勾配)によって「礫質の川原」と「泥質の川原」が存在するのだ。

川原を礫質と泥質に、そして低・中・高位面に分けただけでも六種類の環境ができる。実際には川の大小などさまざまな条件のちがいでじつに多様な非森林的環境=草原が存在する。ひとまとめに転移荒原としてかたづけられるものではない。
まだ耕作地や堤防というものがなかった時代には川は洪水のたびに流れを変え、このような環境が平野全体に見られたはずだ。 〜中略〜 河川周辺というのは日本での草原の蝶のふるさとみたいな所であって、ときには、つまり火山活動が休止しているような時期には、火山山麓よりも重要な位置を占めていたのではないだろうか。

川原の調査が一段落した著者は次に海岸に着目し、調査を開始する。本来の川原の環境は大部分が不安定な破壊自然草原であるから、人為破壊草原とはいっても遅延草原的な性格を持つ「堤防上のシバ型草地」に生息し、移動性にも乏しいヤマトシジミ、シルビアシジミなどの出自を「川原」に求めるのが困難だったからだ。

そこには青い小さなヤマトシジミがいっぱい飛んでいた。 〜中略〜 やはりヤマトシジミは海岸の蝶だったのか。
青い小さな蝶を見るたびに捕虫網に入れてみた。ヤマトシジミばかりだったが、ようやく一ぴきだけシルビアシジミを採集することができた。一ぴきだけで満足だった。頭の中だけでなく体験的にもシルビアシジミは海岸の蝶だと認識をもてたのだから。

このように、著者の思考過程と調査過程が追体験的に記述されているので、自然に「調査・研究とはこのように進めるのか」というものがよく解る。同時に、このBlogで昨秋から続けているアカボシゴマダラの越冬幼虫の観察記録が、いかに幼稚であるか(まるで子どもの観察日記)という点も考えさせられた。それにしても、地味で根気の要る調査を長年にわたって続けてこられた著者には本当に頭が下がる。

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